退屈なチャンスを。

アイドルヲタク兼社会人の推しごとについて。Twitter:@927chan

自己紹介の代わりに、一推しについて熱く語る【SMAP・香取慎吾編】

※この記事は2016年1月9日に掲載したものです


大変遅くなりましたが、2016年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

大晦日のスマショつとぷ来店から派閥を超えまくった紅白そしてカウコン、新規ホイホイだったCDTVなど沢山幸せな出来事があって幕を開けた新たな年。そんな新年一発目の記事は冬コミで頒布したアイドル推し増し推進本「それがドルヲタ!」に掲載した、自担について語った記事をご紹介します。私がどんなヲタクなのか、自己紹介代わりにご一読いただけたら幸いです。(ちなみに冬コミ本では「自担」ではなく「一推し」という言葉を使用しています)

それではいってみようー!

 

一推しって私は誰を書いたらいいのかな? 多分香取慎吾さんなんだけど、彼はもはや私の中では推しとかじゃなくて殿堂入りして教祖なので、推しって感覚ではないんだよなー。

でもこれを読んでくれてる人はきっと「なんでこの人アイドルを教祖とか言い始めてるんだ怖い」ってところに興味があると思うので、ここに至るまでの歴史を書きたいと思います。

(なお、前提として私はジャニヲタでいうところの本気愛気味です。以下文体が多少気持ち悪い場合もあるかと思いますが苦手な方は読むのをご遠慮ください。すみません。)

 

 

私と慎吾くんの出会いは…実はもう古い記憶過ぎて覚えてないんですけど、多分幼稚園くらいの頃に母が木村拓哉さんが好きで、そこからSMAPを知って認識したんだと思われます。

木村くんが口紅のCMをしていた頃の販促商品の時計がいまだに実家にあって、そのあたりですね。当時妹が森くんを好きだといっていたので、時期的には94年~95年頃でしょうか。 その頃は多分、慎吾くんが一番年が近いから気になるとかそういう理由だったと思います。あと顔が好きで。慎吾くんの顔が私の好きな顔の原形になっている感は否めないので、恐らく私の人格形成にも慎吾くんはかなり関わっていると思われます。

慎吾くんとの思い出で強烈に覚えている最初の出来事は、1996年4月、あのロングハケーションと同じクールで放送されていた初主演ドラマ「透明人間」です。このとき慎吾くんは19歳で、はじめて見た頃よりもだいぶ大人の男になっていて(少なくとも当時8歳の子供にはそう見えた)うおおおお!ってなったのを覚えてます。このドラマは慎吾君の肉体美が大変見所でして、長身細身(当時は)の可愛いお顔の慎吾くんがこんな大人に…!みたいな。よく分からないですね。笑

同じ96年4月から始まったSMAP×SMAPでは、全く料理が出来ない慎吾くんと草なぎ剛くんがビストロSMAPのあと居残りして料理の練習をする様子が放送されていたり。成長真っ只中のそんな姿を見て、自然と応援するようになったんです。 そこからは、小学校で好きな芸能人を聞かれたら香取慎吾、好きな人を聞かれても香取慎吾と答えるようになっていました。ただまだ小学生ですからね。ヲタ活には至りません。でも私の記憶だとこの頃から既に慎吾くんとの11歳ある年の差をなんとか埋めようと試行錯誤してます。多分11歳も年が離れてると結婚できないと思ってたから。なんか既にヤバイ香りはしますね。

二回目の衝撃は2002年、母がSMAPのコンサート「Drink!Smap!」に参戦し、のちほどその映像(たぶんまだDVDじゃなくてVHSだったと思う)を見せてもらったときです。当時の慎吾くんといえば慎吾ママとして一世を風靡していた時代。私は中3で、慎吾くんの主に可愛い面をテレビで見ていたところにコンサート映像!これがすごく輝いていたんです。この年は慎吾くんのソロ「It can't be 」(昨年の本の曲紹介コーナーに載せてます)が全編英語詞でそれはそれはかっこよくて、もうそこで完全に男として認識して好きになりました。

次の年はどうしてもコンサートに行きたい!と思っていたら、翌年高校入学と共に木村拓哉ファンの友達ができ、その子がコンサートに連れていってくれたんです。それが2003年の「MIJ」でした。ドリスマのアルバムに収録されていた「世界にひとつだけの花」がシングルカットされ、名実ともにSMAPが国民的アイドルになった、そんな年でした。豊田スタジアムではじめて見た本物のSMAPはもうめちゃくちゃかっこよくて、豆粒くらいだったけど「本当にすごい…!」って圧倒された記憶があります。

そして翌2004年には慎吾くんにとってとても大きな意味を持つことになる仕事、大河ドラマ新鮮組!」を迎えます。このときの慎吾くんは仕事へのプレッシャーで端から見ていても本当に辛そうで、今までそんな慎吾くんを見たことがなかった私は何故だか「ああこの人を支えていかなくちゃ…!」と強く決心した覚えがあります。

その後は上京して、時にゆるーく、時に熱く、自分の状況に合わせながら慎吾くんを応援する一方で、2005年には赤西仁くんという慎吾くん以外にはじめての担当ができたりもして、そんな日々を過ごすうちに、いつしか慎吾くんは私の中で担当を越えた存在になっていきました。

子供の頃から好きすぎて、もはや同じ人間とは認識できず、慎吾くんは神なんじゃないか…と思い、徐々に神格化しはじめたのもこの頃からです。ジャニーズの他の好きなタレント、いわゆる担当とはもはや別次元の何か。多分それが神であり、私の中で唯一神である慎吾くんは私の教祖になっていきました。 そして今に至る…という感じでしょうか。

ちなみに私は慎吾くんには自分から近づくことはできません、尊すぎて。慎吾くんの吐いた呼気がある、慎吾くん濃度の高い空気を吸える環境にいるとなんか怖くなってきちゃうので、番協でもできるだけ近くにいきたくないし、慎吾くんの視線の中にも入りたくないので出来るだけ目を合わさないようにしています。わたしから一方的に見ていたいんですね。これも他の担当とは違う、慎吾くんだけに特別な気持ちです。だから好きだけど多分人間としてお付き合いとかするのはもう無理だろうなと思っています。

ただ諦めているわけでは全くなくて。高校生の頃は声優になりたかったので、私がジブリ作品に出演し、慎吾くんと作品で兄弟役を演じてビストロに出演、お付き合いを経て結婚するというルートを本気で考えていました。今は声優になれなかったので別ルートを検討中です。 でももしいつか来るべき時が来たら、そのときは一ファンではなく、一般女性として出会って慎吾くんを幸せにできたらいいなって思っています。

 

 

いかがでしたでしょうか。実はこの文章を書きあげたとき(wordにして約2枚分)さすがに自分でも一抹の不安を感じて冬コミ本共著者の方々に「これ世に出していいものか・・・!」と相談したのですが、爆笑と太鼓判をいただいいたのでもうこのままいってまえ精神で掲載しました。だってこれが私の人生だものしょうがない!

というわけで、こんな私ですが2016年もblog共々よろしくお願いいたします。